月曜日だけの郵便屋

その郵便屋は、月曜日にしか来なかった。

町の人たちはみんな知っている。

青い自転車に乗った細い男で、夏でもきちんとネクタイを締め、古びた革鞄を肩から下げている。

名前は誰も知らない。

だが、毎週月曜日の午後三時になると、決まって商店街へ現れた。

「こんにちは」

男は静かに頭を下げる。

そして郵便受けへ手紙を入れていく。

変わっているのは、その手紙だった。

差出人が、少しおかしいのである。

『十年後の山田太郎』

『三日前の佐藤花子』

『まだ会っていない友人』

そんな宛名や差出人が、ときどき混じっていた。

もちろん町の人たちは最初、悪い冗談だと思った。

だが手紙の内容は、妙に普通だった。

「来月の台風に気をつけて」

「冷蔵庫のプリンを忘れてます」

「その犬は飼ったほうがいい」

そんな、どうでもいいようなことばかり書いてある。

しかも、だいたい当たる。

だから町の人たちは、いつしか気にしなくなった。

「まあ、便利な手紙だねえ」

魚屋の主人は笑ったし、八百屋のおばさんは「宝くじの番号は教えてくれないのかねえ」と言っていた。

高校一年の高瀬直樹も、その郵便屋をよく見かけていた。

直樹は駅前の喫茶店でアルバイトをしている。

月曜日の午後になると、郵便屋は決まって店へやってきた。

「ブレンドを一つ」

「はい」

男はいつも窓際の席へ座り、静かにコーヒーを飲む。

それから小さな手帳を開き、何かを書き込んでいた。

「あの人、何者なんだろうな」

直樹がマスターへ尋ねると、初老のマスターは笑った。

「郵便屋だろ」

「いや、そうなんだけど」

「世の中には、不思議な仕事もあるんだよ」

ある月曜日、直樹は初めて自分宛の手紙を受け取った。

白い封筒だった。

差出人には、こう書かれている。

『五年後の高瀬直樹』

「うわ」

直樹は思わず声を出した。

封を開ける。

中には短い文章が一枚だけ入っていた。

『あの水族館へは行っておけ』

それだけだった。

「なんだこれ」

直樹は首をかしげた。

水族館。

思い当たるものは一つしかない。

隣町にある古い水族館だった。

子どもの頃に一度だけ行ったことがある。

ペンギンが少なく、ラッコもいなくて、地味な魚ばかり泳いでいた記憶しかない。

「なんで今さら……」

だが翌週の日曜日、直樹はなんとなく電車へ乗った。

特に予定もなかったのである。

水族館は昔のままだった。

客も少ない。

薄暗い通路を歩いていると、小さなクラゲの水槽が目に入った。

青い光の中で、透明なクラゲがゆっくり漂っている。

その前に、一人の少女が立っていた。

同じくらいの年齢だろうか。

短い髪で、白いカーディガンを着ている。

少女はクラゲを見ながら言った。

「なんか、宇宙みたい」

直樹は思わず頷いた。

「わかる」

少女が振り向く。

「ですよね」

それが、二人の最初の会話だった。

少女の名前は美月といった。

高校は違ったが、家はそれほど遠くないらしい。

二人は館内を一緒に回った。

地味な魚を見て笑い、古びた説明パネルを読み、最後に売店でアイスを食べた。

不思議なくらい、自然に話せた。

帰り際、美月が言った。

「また来たいですね」

「うん」

直樹は頷いた。

帰宅したあと、彼は机の引き出しからあの手紙を取り出した。

『あの水族館へは行っておけ』

直樹は少し笑った。

「なるほどね」

それから二人は、ときどき会うようになった。

映画を観たり、商店街を歩いたり、喫茶店で話したり。

美月はよく笑う人だった。

だが、少し変わったところもある。

たとえば、未来の話をするとき、妙に具体的なのだ。

「十年後くらいには、たぶん空飛ぶバスありますよ」

「ないだろ」

「ありますって」

「なんでそんな自信あるんだよ」

「うーん、なんとなく?」

また、ある日には突然こんなことを言った。

「直樹くんって、月曜日好きですか?」

「え?」

「私は好きです」

「珍しいな」

「だって、何か始まりそうだから」

直樹は少し考えた。

「まあ……悪くないかも」

夏が近づいたころ、直樹は再び郵便屋から手紙を受け取った。

差出人は、また『五年後の高瀬直樹』。

中には一文だけ書かれていた。

『月曜日の午後三時、ちゃんと聞け』

「なんだこれ」

直樹は眉をひそめた。

そして次の月曜日。

午後三時。

郵便屋はいつものように喫茶店へやってきた。

窓際の席へ座り、コーヒーを飲む。

その日は、美月も店へ来ていた。

「こんにちは」

彼女は郵便屋を見ると、小さく頭を下げた。

郵便屋も静かに頷く。

まるで知り合いみたいだった。

直樹は気になった。

「知ってる人?」

美月は少し困った顔をした。

「うーん……まあ、仕事関係というか」

「高校生だろ」

「そうなんですけど」

そのとき、郵便屋が席を立った。

そして直樹の前へ、小さな封筒を置く。

「本日分です」

「え?」

「説明書になります」

郵便屋はそれだけ言って店を出ていった。

直樹は慌てて封筒を開ける。

中には紙が一枚。

『驚くと思うが、とりあえず最後まで聞け』

「だから誰なんだよ五年後の俺」

直樹が顔を上げると、美月が小さく息を吐いた。

「じゃあ、説明しますね」

「何を」

「郵便屋さんのこと」

美月は窓の外を見た。

商店街を、青い自転車がゆっくり走っていく。

「あの人、本当は郵便屋じゃないんです」

「うん、まあ普通じゃないとは思ってた」

「時間配送士です」

「……はい?」

「未来と過去の手紙を調整してるんです」

直樹は黙った。

美月は続ける。

「未来では、時間通信が普通になってます」

「時間通信」

「でも、大きな情報を送ると歴史が壊れちゃうので、基本的に“ちょっとした手紙”しか送れないんです」

「ちょっとした手紙……」

「プリン食べ忘れてる、とか」

「しょぼい未来技術だな」

「平和なんですよ」

美月は笑った。

直樹は頭を抱えた。

「じゃあ、未来の俺が送ってきてたのも?」

「本物です」

「ええ……」

「ちなみに、水族館へ行けって送った理由は、私と会うためですね」

「そこまで未来で決めるの?」

「だって会わないと困るので」

「なんで」

美月は少し照れたように笑った。

「未来で、私たち結婚してますから」

直樹は固まった。

喫茶店の時計だけが、カチコチ鳴っている。

「……え?」

「なので、未来の直樹くんが頑張って手紙送ってたんです」

「いや、ちょっと待って」

「ちなみに、最初のデート候補は動物園だったんですけど、そっちは失敗しました」

「失敗?」

「大雨で閉園」

「未来ってそんな使い方するの!?」

「わりと皆さん、私用です」

直樹はしばらく何も言えなかった。

だが、なんだか少しおかしくなってきた。

未来人が頑張って、地味な水族館へ誘導していたのである。

壮大なのか、間抜けなのかわからない。

「……未来って、もっとすごいことに使わないの?」

美月は少し考えた。

「昔は戦争とかで大変だったらしいです」

「らしい?」

「でも今は禁止されてます」

「へえ」

「だから今は、だいたい忘れ物とか恋愛です」

直樹は吹き出した。

「なんか平和だな」

「はい。かなり」

店の外では、郵便屋が次の通りへ曲がっていく。

青い自転車は、夕方の光の中をゆっくり走っていた。

「あの人、未来人なの?」

「未来人というか、公務員ですね」

「夢がないな」

「福利厚生は良いらしいですよ」

直樹はまた笑った。

それから何年後かに、彼は本当に美月と結婚した。

そしてある月曜日、午後三時。

直樹は机へ向かい、一枚の手紙を書いていた。

『あの水族館へは行っておけ』

書き終えると、向かいのソファで美月が笑った。

「短すぎません?」

「長いと未来が変になるかもしれないし」

「適当ですねえ」

窓の外では、青い自転車のベルが鳴った。

カラン、カラン。

月曜日の町へ、今日も小さな未来が配達されていく。